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松ノ木運動場のブログ 

松ノ木運動場が発信するブログです。 大会・教室の報告など・・・ お客様との交流を深める“広場”を目指します!

松ノ木を語るーその2 

松ノ木興業株式会社 会長 松島 一男 様
(松ノ木ゴルフセンター)

松ノ木住宅の隣に松ノ木ゴルフセンターがあります。その会社の会長であり、戦前は松ノ木運動場がある土地を所有していた松島一男さんに、昔の松ノ木運動場周辺について、及び、松ノ木地区についてのお話を伺いました。
松島さんは大正14年生まれの87歳です。松ノ木で生まれ、堀ノ内小学校設立の時に一年生で入学し、大学在学中に海軍に召集され、特攻隊となりましたが、終戦をむかえたそうです。以下は、お伺いした話の要約になります。

ゴルフー1

<戦前の松ノ木運動場周辺について>

戦前は、松ノ木運動場と松ノ木中学校のある土地は、松島家の所有でした。野球場とテニスコートがある部分はサツマイモの畑で、中学校のある部分はクヌギとマツの林でした。
当時は、クヌギの落ち葉を集めて堆肥にし、農業に利用していました。
松島さんが畑を手伝っている時に、「矢じり」がいっぱいでてきたので、「昔はこの辺で戦争をしていたのだな」と思ったそうです。土器のようなものには気付かなかったそうですが、運動場と中学を建てる時に遺跡が発見される予感は感じていたようです。
現在の運動場から大宮八幡宮へ降りていく坂は、「ねぎ坂」(神社の禰宜さんの意味)とか「三の坂」と呼ばれていたそうです。そして、坂を下った所(現在の区の公園がある部分)にお墓があったそうですが、いつの間にか無くなってしまったようです。昔は土葬でしたので、人骨が出てくる可能性があります。
運動場のある土地は、戦争が始まると陸軍に接収され、高射砲が設置されました。そして、戦後になって、運動場と中学が建設されました。

ゴルフー2

<戦前の松ノ木地区について>

松島さんの自宅(現在の松ノ木ゴルフセンター)から大宮八幡宮までは、畑と田んぼが続いており、家は1軒もなかったそうです。
反対側の自宅から五日市街道までは、20~30軒の家が建っていたそうです。五日市街道沿いには家が並んでいましたが、途中には何軒かの家しかなかったようです。
旧鎌倉街道(松ノ木八幡通)の西側(現在の「ふれあいの家」の反対側)には、中央大学のラクビー練習場があり、大学生がよく来ていたそうです。

ゴルフー3

<松ノ木ゴルフセンターについて>

昭和40年代前半に、平屋のゴルフ練習場が建設され、スタートしました。その時は、既に松ノ木住宅や松ノ木小学校は出来ていました。
その当時は、ゴルフブームが始まっていて、最初からお客様が多かったようです。隣の松ノ木住宅の方々も利用し、この練習場でゴルフが上手くなった方も多いはずです。
途中から2階建てに改築し、その頃から「カワナミゴルフ」との提携を始めました。
松島さんは、大学を卒業して銀行員になったので、松ノ木ゴルフセンターの経営については、奥様と一緒に苦労されたようです。
現在は、密集した住宅街で、松ノ木ゴルフセンターは余裕のある貴重なスペースになっています。

ゴルフー4

松ノ木興業株式会社
(松ノ木ゴルフセンター)
杉並区松ノ木1-12-52
電話・FAX: 03-3316-5705
category: 松ノ木を語る
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松ノ木を語るーその1 

「武蔵野園」 代表取締役 青木龍雄様

松ノ木野球場から善福寺川の方へ降りていくと、和田堀公園の中に釣堀があります。昭和27年に設立された「武蔵野園」で、その2代目である青木龍雄さんに「松ノ木・和田堀地区」についてお話を伺いました。
青木さんは、この地域で育ち、学び、働いてきましたので、戦前・戦中・戦後から現在まで、この地域の変遷を見てきています。以下は、伺ったお話の要約になります。

武蔵野園ー1

<戦前の大宮公園>
昭和の初めころ「桜の名所」と呼ばれた大宮公園は観光客であふれ、その池は(現在の)2倍~3倍あり、中央に島が2つありました。その1つは猿がいる「猿ヶ島」と呼ばれ、池にはボートが80艘以上浮かんでいました。
豆汽車、豆自動車、木馬、射的場、映画ボックスが並び、電気機関車も走っていました。現在の競技場の付近はプールになっており、櫓が立って、木製のウォーターシュートが楽しめました。
松ノ木運動付近は高台になっており、ピクニックの場所として利用されていました。
青木さんのお母様は、ボート場やプールの管理に加えて、お座敷や宴会場のある「光月(こうげつ)」というお茶屋さんも経営していました。
当時はもう1軒、「小松屋」というお茶屋さんがあり、「小松屋」の下までボートで入れたそうです。今は、両方とも無くなりました。これは、大宮八幡宮と中野の間を木炭バスが走っていた時代の話です。

武蔵野園ー2

<戦中の松ノ木・和田堀地区>
高台の松ノ木運動場部分には、高射砲がありました。
また、大宮八幡宮下の善福寺川沿いに、兵隊さんがトロッコを駆使して、防空壕をつくりました。これは、何百人も入れる大きなもので、トイレもついていました。
高射砲があったためか、米軍の飛行機に狙われ、焼夷弾がいくつも落ち、燃えた場所もありました。また、日本の飛行機が落ちたこともあったそうです。

武蔵野園ー3

<戦後に武蔵野園を設立>
戦火で荒れはてた後、戦後は一面の畑となり、冬は長靴でないと歩けないような状況でした。
その中に「松ノ木園」という釣堀があったのを、昭和27年に1代目が買取り、井戸水で営業を開始しました。良い水が得られたので、釣堀も好調に滑り出していきました。
そのころ都内には約60軒の釣堀があり、人気のある遊びでした。この地域にも「武蔵野園」の他に「八幡園」と「杉並フィッシングセンター(五日市街道)」の2つがありました。
その2つの釣堀も20数年前に無くなっています。

武蔵野園ー4

<松ノ木運動場との関わり>
10数年前、家族を中心にして「武蔵野園」という野球チームをつくり、松ノ木野球場を利用して、ナイター専門で楽しんでいました。ただ、青木さんがピッチャーで4番のワンマンチームだったようです。
なお、息子さん(3代目)は、国学院久我山高校の選手として甲子園にでて、(松商学園に敗れましたが)打率7割という結果を残しています。清原・桑田のPL学園が活躍した年です。
今は、松ノ木運動場を利用している野球チームやテニス仲間が食堂を利用しています。
また、青木さんは、朝晩、犬をつれて松ノ木運動場の周辺を散歩するのが日課だそうです。

武蔵野園ー5

<最近の状況>
少子化もあり、子供の利用が少なくなっています。土曜・日曜に親子連れで来場されるのが(現在の)定番になっています。
昔は、学校が終わると子供たちが並び、夏休みには子供でいっぱいになりました。
その代わり、最近は若い女性が増えたのが特徴で、(利用しやすいように)トイレ等も改修しました。
また、ペットと一緒に散歩をする人の憩いの場として、店内の一部を開放しています。
釣堀の一部をつぶして、椅子とテーブルを並べ、釣堀を見ながら、ゆっくり食事をしたり、お茶を飲めるようにしました。勿論、ペットも一緒に休めます。
都の有料駐車場ができてから、周囲の環境も良くなり、散歩の人びとにも利用されるようになってきて、新しいスタイルの「和田堀公園の憩いの場所」になっています。

武蔵野園ー6
<2代目:青木龍雄様>

武蔵野園
〒168-0061 杉並区大宮2-22-3
電話:03-3312-2723
定休日:火曜日





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